〔その2〕生後141日~
7日目〈苦しいよーっ!〉
今日の《みー》はずーっとうなっていた。苦しいよ、苦しいよーって叫んでいた。
何もしてやれない自分がむなしくなって病室で泣いてしまった。《みー》の前で泣いてしまった。
熱のために目はうつろだし(高熱で目が見えなくなることもあるかも!)脳の方に何か問題があるようなそんな気がしてならない。翌日になったら何か大きな変化が現れるという病気ではないけれどずーっとこんな状態が続いてたらどうしたらいいの?何も出来ない。
もしも《みー》が平常に戻っても他の子供と同じように生活していけるのかしら。
気を使ってやらなきゃいけないのはもちろんだけど今までのようにキャンプに行ったりプールに行ったりディズニーランドに行ったりそんな普通の楽しみ方もできなくなるとしたらかわいそうすぎるよ。
早く何年かたって今の時間が懐かしく思えるようになればいいけど。
こんなママの心配事が笑い話になるように。いったいどれくらい長い間《みー》は苦しむのでしょう。
どうかどうか、早く快方に向かいますように!!
*日に日に具合が悪くなってくる《みー》を見ていて、先のことがとても不安になったのでした。
あまりにもひどい病気のように思えてすごくすごくかわいそうでたまりませんでした。
私がしっかりしなくちゃっ!って思えば思うほど何も出来ない自分がもどかしくて苦痛でした。
8日目〈動脈瘤〉
ショック!大ショック!
《みー》の心臓の冠動脈にこぶがあるらしい。ガンマグロブリンを5回投与したけど熱は相変わらず8度台と9度台を行ったり来たりしている。
血液中の血小板の数が異常に多くて貧血もひどいし肺にもかげがあるし・・・と悪いことをいろいろ言われた。
私はじめて本当に《みー》はダメかもしれないと思ってしまった。
また今日も泣いてしまう。どうしたらいいの?
先生はもう一度ガンマグロブリンを投与してみるとおっしゃった。
それで熱が下がらなければ横浜の子供医療センターの方におくるつもりみたいです。
そんなに重症なのね。もっと何か打つ手はないのでしょうか。
万が一、何かあったときでも思い残すことのないように尽くせるだけの手をつくしてやりたいと思うから。
それでないと後悔しちゃう。誰か教えてーっ。
*先生に検査結果をうかがうたびにがっかりしていました。でも、この日のお話は特別悪い話でした。
いつもいつも悪くなる《みー》を見ながらも、こころのどこかでは期待していたんです。
普通は2クールしかグロブリン投与はしないらしいけれど《みー》は6クールも投与することになってしまいました。
そんなにやって大丈夫なんですか?って思ったりもしたけれど、この先生を信頼してお任せするしかないんだという気持ちでした。
先生もこんな重い川崎病の子は初めての経験だったそうですが本当に熱心に治療してくださったと思います。
9日目〈小さいからだ〉
今日は病院に行くのがちょっぴり憂鬱だった。よく眠れなかった。きのうあんな話を聞いたせいだよね。
毎日毎日今日こそは熱が下がってくれるだろうと、期待してもがっかりしてかえってくることになる。
もう疲れた。でも、まだこれから先は長いんだ。
今日からグロブリンを倍の量をゆっくり投与して2日たったらまた様子をみるそうです。
アスピリンとグロブリン。そして心臓の薬と点滴。あ~《みー》は小さい体で苦しいだろうね。
私の動きを追っているお目目が`助けて´って言っているように見えてしかたない。
「う~ぅぅぅ」「あ~ぁぁ」ってもんくも言っている。もうわからない!
*このころは《みー》を見るのがつらくって憂鬱な気持ちでいっぱいでした。
何か新しい治療をするたびに(といってもグロブリン投与しかありませんでしたが)祈るような思いでいたんです。
10日目〈・・・・・〉
苦しそうにしている《みー》を見るとなさけなくなる。何もしてあげられない自分がなさけなくなる。
ずーっとずっと、そんな思いばかり・・・・・。
でも腫れも発疹もだいぶひいたみたいじゃない?熱も40度台にならなくなった。それだけで良しとしなければ。
*なんか少しでも変化があると(それが良い方の変化だったりすると)自分を励ます材料にしていました。
本当は心のどこかで検査結果が第一と思いながらも表面的に良くなったことをさがしてはホッとしていました。
そうしなければ、いられなかったからです。それともうひとつ私を救ってくれたのは上2人の子供たちでした。
うちに帰って長女・次女の笑顔を見るとその瞬間は《みー》のことを忘れられたのです。
家のことも何も手につかず、ほっぽりっぱなしでしたが、主人の両親が同居していたので安心して《みー》の所へ行くことが出来ました。
特に義母は私以上に感受性の強い人でしたから、ものすごく心配していたはずですが《みー》の心配は一言も口にせずに見守ってくれました。
本当なら私を責めることだってできたでしょうに・・。
11日目〈無意味なこと〉
グロブリン投与はきのうでおわり。でも結局熱は下がらなかった。やっぱりダメか・・・。
もう本人のがんばりに賭けるしかないよね。
「これ以上の治療方法はないので病院を変わるのは無意味だと思う」と町医者の父が言った。
先生も「やっぱりこのまま待ちたい」と言った。私もパパも「そうしましょう」と言った。
《みー》が・・・《みー》の意識がどこかに行ってしまわないように、これまでよりももっといっぱい話しかけてあげることにしよう。本も読んであげよう。歌も歌ってあげよう。
必ず元気になるのだから。そう信じるしかないから
。熱が出てからまだたった10日だもの。
・・・ちょっぴりいい知らせ。冠動脈瘤は4ミリまで小さくなった。
*みんな絶望に打ちひしがれていました。先生も私たちも言葉少なでした。
でも、初め6ミリあった冠動脈瘤が4ミリまで小さくなったのはそんななかでも本当に喜ぶべきことだったのです。
「発病が早かったので動脈瘤が治る可能性は高いんですよ」と言ってくださった先生。
でも「あとは本人の体力と気力を願っていましょう」という言葉はむなしく響いたのでした。
12日目〈酸素テント〉
これはなに!どうしたの!
病室に入ったとたん、私の心臓が止まりそうだった。
大きなビニールのテントに《みー》がすっぽり入っていて命が危ないのかと思った。
鼻が詰まって息が苦しいそうなので酸素を与えることにしたんだと聞いて安心した。
小さい子には酸素マスクでは使いにくいのですっぽり包むテントがあるそうなのです。
鼻づまりは確かにひどくて、ミルクを飲むときも苦しくて飲みづらそう。
熱は朝37.2度まで下がったらしいけど、午後にはまた39度まで上がった。
目を覚ましたら情けない声を出して耳をこすったりしていた。
そういえば耳も赤くて少し腫れている。
かゆいの?でも、動いてくれるととても安心する。
それがたとえ泣き声でもありがたい気がする。
私自身の気持ちが、永い病院生活を覚悟した感じで今までと少し変化したように思う。
《みー》を絶対元気にするんだから。《みー》が必至で生きているんだから私もがんばらねば!
・・・けどちょっぴり疲れてる。
今日はやこちゃんがお見舞いに来てくれて嬉しかった。
病院でひとりで《みー》と向かい合っていると息が詰まるときがある。
すこしでも誰かとくだらないおしゃべりが出来ると救われる想い。ありがとう!
*酸素テントなんて見たことがなかったので、驚きました。でも、この中にいると《みー》は本当に苦しくないみたいなのです。
だから、表情も少しやわらいでいました。ただ、ミルクを飲むときは出なくてはならないので、すぐに苦しくなってしまい吸えなくてかわいそうでした。
このころから私の気持ちが少しずつ変化してきました。
辛い、悲しい、かわいそうだけでは何も始まらない。
`このまま終わりたくない´という強い気持ちをもって《みー》に接していかなくちゃと思えるようになったのです。
14日目〈思い切り抱きたい!〉
熱も下がらず。相変わらず鼻も詰まってて機嫌が悪い。このごろはいつ行っても眠ってばかりいる。
ミルクの時に起こしても目はうつろだし言葉はせつなそうな声だけ。
酸素テントの中にいるのでは、お手々や頭をなでてあげるのもままならなくて悲しい。
我が子に思うように触れられないなんてせつなくてせつなくて。
でも毎日毎日会いに行かずにはいられない。
何か話しかけてやらなければどこかに行ってしまいそうで、でもむなしくて。
思い切り《みー》を抱きたい。好きなときに抱いて好きなときに遊んで。
でも今《みー》は酸素テントの中。
ママのこと忘れちゃった?ママのこと大好きだったのに。
そのママがそばにいてもわからないなんて。
・・・ちょっぴり悪い知らせ。知り合いのいとこも(大学生)幼稚園の時、川崎病で1年間も入院したんだって!!
*とはいえ、酸素テントの中の《みー》は、なんだか他人の子のような気もしました。ねぇ、みなさん考えてみてください。
自分の子をだっこすることができない母親ってどんなものかを。
一週間前に一気に出てきたいろいろな症状が少し治まってきたのですが、今度はとてもせつなそうな声を出し始めたので、
ぎゅっと抱きしめてやれない自分がつらかったのです。